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【図解】ワークスタイル1万年の歴史!7つの時代を考察すると未来のヒントが見えてきた

【図解】ワークスタイル1万年の歴史!7つの時代を考察すると未来のヒントが見えてきた
目次

ワークスタイル1万年の歴史!7つの時代を考察すると未来のヒントが見えてきた


コロナを経て社会は大きく変わり、個人のワークスタイルはかつてないほど、大きな転換をしています。
つい、この間まで当たり前だった働き方や、企業と個人の関係が、すっかり変わっていることを、実感している方も多いはず。

では、これからのワークスタイルはどうなっていくのか? 未来は歴史がヒントになるのではないか?
 そう考えたワタシゴトは縄文から令和まで、ワークスタイル1万年の歴史を総まくりしてみました!


狩猟採集の時代

縄文時代は、農耕はまだなく、狩猟採集社会が形成されました。ムラをつくって定住し、イノシシやシカなどのケモノ、魚や貝を獲ったり、木の実などを集めるなどして暮らしていました。

社会的な分業はほぼなく、基本的には平等な立場で協働し、とった食料は平等に分けていました。
リーダーは存在していたものの、格差や身分の別、支配・被支配の関係はないと推定されます。


つまり「縄文的ワークスタイル」は、次のようにまとめられます。


農耕の時代

やがて大陸から稲作が伝わり、農耕がはじまりました。
大勢の人々が協力して田畑を開き、耕作していきます。自然のなかから食料を得ていた狩猟採集社会と違い、自然に手を入れ、うまく利用して、本来生み出される以上の糧を得ます。人は農村で、自然と関わり、調和しながら共生するワークスタイルが根づきました。

農耕社会では、人数・面積あたりの生産量が増えます。
すると食料があまり、備蓄できるようになります。持つものと持たざるもの、貧富の差ができて、支配者と被支配者がうまれました。

狩猟採集社会のように、全員が等しく食料生産に従事する必要もなくなり、分業が可能になります。
農業や狩猟など一次産業に従事する人だけでなく、手工業の職人や船乗りなどの運送業、戦いを生業とする戦士のような、新しいワークスタイルがうまれます。

それぞれの立場で、自分の生活や一族をより豊かにするために、一生懸命に働いたことでしょう。職業人のプライドやプロ意識のようなものも、芽生えていったようです。私たちがイメージする「仕事」の原型は、農耕社会の中で完成されていったのではないでしょうか。


都市の時代

混沌とした中世、戦国時代を経て、江戸時代には社会が安定しました。
開墾の努力や技術革新で、米をはじめとする農作物の生産量は劇的に増加します。政府によって貨幣も管理され、城下町などで経済活動を営む人が増え、新しい産業がうまれるなど、都市社会が発展しました。江戸や大坂では、町人たちのワークスタイルが多様化しました。落語家や人材紹介、銀行のような役割を果たす両替商など、さまざまな職業がうまれます。花形職業の大工や木工家具をつくる指物師など、職人はそれぞれ独立して技術・サービスを極めていきました。

商家では、長期間奉公するワークスタイルが定着します。年功序列と内部昇進で着実にキャリアを積んでいくスタイルを、後の企業とサラリーマンの雇用関係の源流とする見方もあります。

また、奉公は住み込みが原則ですからプライベートは犠牲になります。商業がさかんだった大阪では、少子化が問題になったそうです。

武士の社会では、藩の財政難などを立て直すため、優秀な人材が身分を越えて登用されることもありました。彼らは、明治以降の経営者の土台になりました。

近代工業の時代

明治に入ると、古い身分制度が撤廃され、職業選択が自由になりました。
同時に、社会は農耕中心から近代工業中心へと、徐々に変わっていきます。賃金など条件を約束し、管理者の指揮・命令に従って働く「雇用関係」が広く広がっていきました。

一説によれば、「労働」という言葉は明治にできた言葉だと言います。他人(傍・はた)を楽にするという意味の「はたらく」、事をなすという意味の「仕事」はありましたが、賃金の代償としてやむを得ず提供する「労働」という概念はなかったそうです。

個人は工場労働の中へ囲い込まれ、工夫や裁量を失っていきます。
組織のなかで人材が養成され、ワークスタイルは同質化していきました。

工場の労働環境は大変に厳しかったと言います。例えば製糸工場では、女性労働者が12〜14時間も働き、身体を壊す人も多かったようです。

苦しい労働者の状況を自ら改善するべく、労働組合も結成されました。


高度成長期〜バブル

今のように1日8時間労働が標準となったのは、労働基準法がつくられた戦後のこと。
ただし、残業は当たり前で、週の休みも1日しかありませんでした。

かつて、日本企業の特徴とされた「終身雇用」と「年功序列」が定着したのはこの頃です。企業は生活を保証する代わりに人材を囲い込み、人材もそれに応えました。組織への帰属意識、忠誠心を高く持って、会社のため、プライベートを犠牲にして働く「企業戦士」「モーレツ社員」のワークスタイルです。

バブル期にはあの「24時間働けますか?」のキャッチコピーが流行します。経済は右肩上がりで、「明日は今日より良くなる」と、皆が信じていた時代。バリバリ働いて、ガッツリ稼ぎ、ジャンジャン遊ぶ。働いた分だけ報われることを、実感できるワークスタイルでした。

女性の社会進出も進みますが、企業ではまだまだ総合職はめずらしい時代。大学や短大を出て就職し、若いうちに寿退社、というキャリア像が描かれました。


平成、失われた20年

平成のはじめにバブルが弾けると、金融危機などで経済は低迷。
社会は一転して長い不況、デフレへと突入します。

人員を整理するため企業はリストラを行い、新卒採用は抑制されます。2000年前後に学校を卒業し社会に出た人たちは、「就職氷河期世代」と呼ばれます。

人員削減で業務負荷が増え、苦しくなった企業が成果主義を導入するなど、サラリーマンの環境はシビアになります。労働基準法が改正され、週休2日が一般的になったのはよいのですが、給与は伸び悩みます。

また、派遣社員や契約社員、あるいはフリーターといった、非正規雇用の働き方が拡大しました。
「派遣切り」「ワーキングプア」といった社会の歪みも顕わになります。

そんななか、男女雇用機会均等法が改正されて女性の社会進出が進み、共働き世帯が増えました。
ポケベル→携帯電話→一人一台のパソコン→スマホと、デジタル化が進んだのは、大きな変化です。インターネットを通して世界とつながり、個人は企業の中にいるより、ずっと多くの人とつながり、情報を入手できるようになりました。

かつての終身雇用はすっかり崩れ、企業の影響力は弱まった時代。
個人が組織に支配されることなく活躍し、収入を得るワークスタイルが必要とされたのでしょう(デジタル化でそれが可能になった)。平成の後半にはノマドワーク、時短勤務や複業など、柔軟なワークスタイルが広がっていきました。


令和、アフターコロナ

平成の終わりに「働き方改革」がはじまりました。
ワーク・ライフ・バランスが尊重されて労働時間が短くなったり、派遣や契約社員など非正規雇用者の待遇がよくなったり、女性やシニアが働きやすくなったりしました。

一方、企業のコンプライアンスには厳しい目が向けられ、以前の企業戦士のように滅私奉公が美徳とされることはなくなりました。
そんな中、コロナ禍がやってきて時代は一気に進みます。デジタル化が進んだことで、リモートワークが可能になり、複業やギグワークなども当たり前になりつつあります。

従来の常識や固定観念は崩れ、起業やフリーランスを含め、個人個人が自分の価値観に従ってワークスタイルを選択していきます。

仕事をがんばって役職や収入を上げていく、という前世代には当たり前のキャリア像すら、多様な価値観のひとつでしかありません。仕事上の成長や責任とは別のところで、自分らしさを発揮するようなワークスタイルが広がっています。

まとめ

各時代のワークスタイルは、本当はもっと多様だったことでしょう。
ここで図解したのは、時代のエッセンスを形式化した考え方のひとつにすぎません。

しかし、歴史を俯瞰してワークスタイルを考察してみると、大きな流れが見えてきました。ワークスタイルは同質化と多様化を繰り返しており、今はかつてない多様化の時代です。

個人を縛る足かせはどんどんなくなり、自由にワークスタイルを選べるようになりました。裏を返せば、「選ばなくてはならない」ということでもあります。「選ぶ」どころか、ワークスタイルを自ら考え「創造する」のが、これからの時代を生きる人の宿命かもしれません。

ワタシゴトは歴史を生かしたワークスタイルの創造を提案します。

ここで図解したワークスタイルには、いずれの時代も現代に通じる特徴、輝きがあります。エッセンスを応用し、組み合わせたり、形を変えることで、未来のワークスタイルにも活用できるはずです。

例えば、縄文時代のように格差をつくらず平等に働くコミュニティは、必ずしも経済的な価値を優先しない令和の若者に、フィットするのではないでしょうか。自分のお金や遊びのためでなく、社会に貢献するために、昭和の「モーレツ社員」に戻る時期があって良いかもしれません。

ぜひ常識を越えて、ワークスタイルを考え、創造するヒントにしてください。